ダーウィニズムとは何か?(社会ダーウィニズム研究における論点2)

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社会ダーウィニズムを考察する際には、当然のこととしてダーウィニズムとは何かということを検討しなければならない。

社会ダーウィニズム研究には、社会思想である社会ダーウィニズムと科学理論であるダーウィニズムの間には必然的な関係はなく、ダーウィニズムと社会ダーウィニズムははっきりと区別すべきであるという議論も見られる。

しかし、ダーウィニズムの意味とは関係なく社会ダーウィニズムの意味が決まるのだとしたら、その考え方を社会「ダーウィニズム」と呼ぶ必然性はないだろう。

(英辞郎 on the WEBの「social Darwinism」の項目では、以下のように説明されている。「社会ダーウィン主義◆個人・集団・国家・思想における競争が、人間社会の進化をもたらすという理論。Darwinismの言葉が使われているのは、生物進化の考え方や適者生存(survival of the fittest)の考え方を取り入れているためであり、ダーウィンとの関わりはない。19世紀のスペンサー(Herbert Spencer)や、優生学を創始したゴルトン(Francis Galton)らが提唱した。」)

evolutionismという意味でDarwinismが使われることもあるが、ダーウィニズムがダーウィン進化理論のことだとすれば、通常その柱は共通起源説(枝分かれ進化モデル)と自然選択説だろう。しかしながら、ダーウィンの進化理論には現在の科学では否定される要素も含んでいる。代表的な例としてはラマルクに由来する獲得形質の遺伝であるが、遺伝学が確立されていなかったことも現代の視点から定義されるダーウィニズムと同時代のコンテクストから定義されるダーウィニズムが異なる要因となっている。

また、ピーター・J・ボウラーが強調しているように、現代的な観点におけるダーウィニズムと同時代のコンテクストによるダーウィニズムとの重要な違いは〈進歩〉の概念をめぐるものである。

現代のダーウィン進化理論理解によれば、自然選択はあくまで環境により適応した個体が生き残り子孫を残すプロセスに過ぎず、適者とは必ずしも優れた個体を意味するわけではないが、自然選択の同義語とされた適者生存は生存競争を通じて優れた個体が生き残り劣った個体が死滅する進歩をもたらす過程だと捉えられてきた。

進歩の必然性という考え方が、存在の連鎖のような下等なものから高等なものにいたる生物の序列という考え方と結びつき、下等な生物から高等な生物への進歩していくという進化過程が当然のものだと考えられる傾向が見られた。いわゆる人種の序列もこのモデルに組み込まれ、類人猿から野蛮人を経て文明人にいたるという下等なものから高等なものへの進化という図式が広く共有されていた。

枝分かれモデルと環境への適応による進化というダーウィンの進化理論は、上記のモデルを相対化する契機を含んでいたが、ダーウィン自身も『種の起源』で自然選択による進化が進歩をもたらすという期待を表明しているし、『人間の進化(The Descent of Man)』では人種の序列を前提にしている。

ダーウィンは、上記のような当時の通念を前提にしつつその枠組みに収まり切らない理論を展開しているので、いわゆる社会ダーウィニズムとの関係でダーウィンの進化理論を考察するのは一筋縄では行かない。

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