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ハーバート・スペンサーとダーウィニズム

半年近くに渡る修羅場をくぐり抜けて少し余裕が出てきたので、今さらながら昨年シノドスに載った吉川浩満氏に対するインタビュー記事に対して疑問をぶつけておきます。

生きづらいのは進化論のせいですか?

異議があるのは、このインタビュー記事のうち、「通俗的な進化論」と「発展的進化論」とラマルク進化理論とスペンサー進化理論を一直線に結びつけている部分です。わかりやすいように、丸々、引用します。

見出し
「進化論」は「ダーウィニズム」ではない?

聞き手
では、この社会にある「進化論」はいったいどこからやってきたのでしょうか。全部、私たちの科学的知識の無さや誤解から生まれたものなのですか?

吉川浩満(以下五段落)
社会に流通している通俗的な進化論が、科学理論としての進化論を誤解していることはたしかですが、まったくのデタラメというわけでもありません。ちゃんとした出自があるにはあります。

それは、科学史家のあいだで「発展的進化論」と呼ばれる、ダーウィン以前の進化論です。有名なのはフランスの博物学者ラマルク。キリンの首が長いのは、先祖のキリンが高所の葉っぱを食べるために努力をつづけたからだ、という話を聞いたことがあるでしょう。ラマルクは、生物の進化には目標があると主張しました。また、生物には目標の達成度に応じて優劣の序列がある。ラマルクにとって進化とは前進であり発展なのです。

その後、イギリスの思想家ハーバート・スペンサーがラマルクの進化論を発展・拡張させて、世界中で大ブームになりました。彼は、宇宙のあらゆる物事が進化すると考えました。彼に言わせれば、人間の社会も古代国家や未開社会から近代的な国家へと進化していく。その過程において、「適者生存」──この言葉を考案したのもスペンサーです──の競争が行われるのです。

このようにしてスペンサーは、ラマルクの発展的進化論と当時の資本主義先進国を席巻していた自由競争主義を接続し、上昇志向の近代人にぴったりの「進化論」を仕立てあげました。

以上、引用。

スペンサーの生物進化理論が、ラマルクの進化理論から大きな影響を受けていたのは疑いなく、スペンサーの生物進化理論を「発展的進化論」と呼ぶことにも異存のないところです。しかし、だからといって、スペンサーがダーウィン進化理論から影響を受けていなかったということにはなりません。さらに言えば、ダーウィン進化理論が「発展的進化論」ではないということにもなりません。少なくとも「ない」と断言するなら『種の起源』最後の文やダーウィンによる人間進化の理論との整合性は説明しなくてはならないと考えています。

「発展的進化論」という点において、スペンサーの進化理論がラマルクの進化理論と親和的なのは間違いないのですが、近年のスペンサー研究では、スペンサーが育ったイングランド中部に浸透していた理性主義的非国教派(rational dissent)の思想がスペンサーの進歩思想に対して与えた影響が強調されています。

スペンサーはラマルクだけでなくダーウィンの進化理論からも少なからぬ影響を受けているのであり、ダーウィンの影響に言及せずに「ラマルクの進化論を発展・拡張させ」たと説明するのは一面的だと言わざるをえません。

また、「単純から複雑へ」というスペンサーの宇宙進化の理論とスペンサーの生物進化理論の関係はきちんと検討される必要があります。少なくとも、「ラマルクの進化論を発展・拡張させ」た「発展的進化論」とだけ捉えるのは単純化しすぎでしょう。スペンサーにおける宇宙進化理論、社会進化理論、ラマルク進化理論とダーウィン進化理論の両方を取り入れた生物進化理論、この三者の関係はきちんと検討しなければいけない問題でしょう(もちろんインタビュー記事なので、ある程度、単純化しなければ説明できないという事情はわかりますけど)。

確かに「適者生存」(the survival of the fittest)という「言葉を考案した」のはスペンサーですが、この言葉は、『種の起源』で提起されたダーウィン進化理論を受け、「自然選択」(natural selection)とダーウィンが呼んだ過程を指し示すために考案された言葉です。『種の起源』の後の版では、「共同発見者」と位置づけられるA・R・ウォレスの後押しもあり、「自然選択」を言い換えた言葉として『種の起源』に取り入れられることになります。

ちなみに、進化理論研究では複数の研究で『種の起源』出版より前からスペンサーが「適者生存」(the survival of the fittest)を用いていたという事実に反する言及がなされました。ダーウィンとスペンサーを切り離そうとするあまりに、このような誤解が生まれたとは言えないでしょうか。

最後の一文は、完全に間違っているとは言えませんが、誤解を招く表現と言わざるをえません。例えば、ダーウィンは、獲得形質遺伝というラマルクの進化理論とマルサスの人口理論(ある意味「自由競争主義」)を接続し、「上昇志向の近代人にぴったり」の進化理論を「仕立てあげました」という主張は妥当でしょうか。ダーウィン進化理論には、間違いなくラマルク進化理論とマルサス人口理論という要素は含まれていますが、このような表現をすると、地道な科学研究に基づくダーウィンの独創性を過小評価していると言わざるをえないでしょう。同様に、このような表現では、スペンサーの独創性を過小評価することになると思われます。

続くセクションも引用します。

聞き手
ということは、私たちが考える「進化論」はスペンサーのものであると。

吉川浩満(以下四段落)
そうです。ラマルクの発展的進化論を人間社会に適用したスペンサーの思想です。歴史の教科書などで「社会ダーウィニズム」と呼ばれますが、だから本当のところはこの思想はダーウィニズムではありません。正しくは社会ラマルク主義、あるいはスペンサー主義と呼ばれるべきものです。学問の世界ではすでに否定されています。

いま学問の世界で認められているのはダーウィン由来の進化論です。これは生物の進化にいっさいの目的や目標を認めません。生物の進化を左右するのは目的や目標ではなく、偶然です。進化は単なる結果でしかなく、それ自体ではよいものでもわるいものでもありません。だから生物間に優劣の序列もありません。進化の目的や生物の序列といった発展的な考えと手を切った進化論です。

つまり、私たちの社会にはふたつの進化論が共存しているということになります。学問としての進化論と、一般人の世界像としての進化論。前者はダーウィンが発祥ですが、後者はスペンサーによってつくられたものなのです。

現在、「ダーウィニズム」という言葉が「進化論」の同義語のように使われているために、たとえば「進化論のせいで生きづらい」と思うとき、元凶はダーウィンにあるように感じるかもしれません。でもそれは濡れ衣です。

以上、引用。

一般に「社会ダーウィニズム」と呼ばれているものが、「ラマルクの発展的進化論を人間社会に適用したスペンサーの思想」なのでしょうか。一般的に「社会ダーウィニズム」と呼ばれているものが「適者生存」や「弱肉強食」という概念と結びついているとしたら、そうではありません。なぜなら、いわゆる「社会ダーウィニズム」が進化論を「人間社会に適用したスペンサーの思想」であったとしても、それはスペンサー生物進化理論におけるラマルク進化理論の要素を「人間社会に適用した」ものではなく、スペンサー生物進化理論におけるダーウィン進化理論の要素を「人間社会に適用した」ものだからです。「弱肉強食」イメージというのは「生存競争」(struggle for existence)や「適者生存」というダーウィン進化理論に由来するイメージであってラマルク進化理論に由来するものではないのです。ゆえに、一般に「社会ダーウィニズム」と呼ばれるものは、「スペンサー主義」はともかく、「社会ラマルク主義」と呼ばれるべきものではありません(「スペンサー主義」とも呼ばれるべきではないと考えますが、スペンサー思想にそのような要素があることは否定できないとも考えています。ただし、ダーウィン進化理論にも同じような要素はあります。)。

「学問の世界」で「すでに否定されて」いることが何なのか明確ではありませんが、一般に考えられている「進化論」、スペンサーに由来する「社会ダーウィニズム」と呼ばれるべき進化論が、ダーウィニズムであること、もしくは、科学的であることでしょう(この両者が結びつけられているのではないかというのが私の疑念です)。

いわゆる「社会ダーウィニズム」がダーウィン進化理論と無関係であるという議論は進化論を対象とする学術研究でも見られる主張ですが、そうだとしたら、どうして「社会ダーウィニズム」と呼ぶ必要があるのかという素朴な疑問が浮上します。折りに触れ表明してはいますが、「社会ダーウィニズム」という言葉および概念は、過去から現在に至る言葉遣いによって付随してきた意味のために、学術的な概念としては使えないというのが私の立場です。

吉川氏が正確に述べているように、「いま学問の世界で認められているのはダーウィン由来の進化論」であって、ダーウィン進化理論そのものではありません。少なくとも、特定の進化理論が科学的に正しいかどうかということとダーウィン進化理論と結びつけられるべきかどうかというのは別問題です。そうだとしたら、いわゆる「社会ダーウィニズム」がダーウィン進化理論と結びつけられるべきではないと主張しながら、現在の主流派進化理論は「ダーウィニズム」と呼ばれるべきだと主張するとしたら、根拠がよくわかりません。一方は社会思想・政治思想でもう一方は真理とされている科学理論だとしても、両方ともダーウィンの進化理論から派生したものである点は同じだからです。繰り返しますが、いわゆる〈社会ダーウィニズム〉がダーウィン進化理論から派生したものでないのであれば、そう呼ばなければいいだけの話です。ただし、学術概念としては利用すべきでないとしても、いわゆる「社会ダーウィニズム」がそう呼ばれるのには上述したように相応の理由があるとも考えています。

上記のような理由から、現在の主流派進化論を「ダーウィニズム」と呼ぶのも誤解を招くので望ましくないと考えています。ダーウィンの進化理論と現在の主流派進化理論は多くの点で異なると考えられるからです。なお「ネオダーウィニズム」と呼ぶのは命名の経緯から言ってももっと望ましくないと考えています。個人的には単に現代の(主流派)進化理論でいいと思いますが、あえて何か呼称が必要だとすれば「modern synthesis」でしょう。日本語では、「進化の総合説」と呼ばれることが多い気がしますが、「現代の総合理論」あたりでいい気がします。

吉川氏が言及している「学問の世界」がどのようなものを指し示しているのか明確ではありませんが、少なくとも進化理論の歴史研究で問題とされているのは、ダーウィン進化理論がどのようにヴィクトリア時代の社会と相互浸透していたのかという問題や、ダーウィン進化理論の政治性という問題であって、社会ダーウィニズムがダーウィニズムではないというようなことではないと言えるでしょう。

おそらく、ここで言われている「学問の世界」というのは科学史学の世界ではなく、一般には生物学の一部門であるところの進化(生物)学の世界でしょうから、そう言っていただければ別に異存はありません。ただし、だからといってダーウィン進化理論といわゆる「社会ダーウィニズム」が無関係になるわけでもありません。

進化理論の歴史研究を含むヴィクトリア時代を対象とする科学史研究では、狭い意味での科学における進化論と一般に考えられている進化論あるいは世界観との関係性も問題にされてきました。例えば、ジョン・C・グリーンという科学史家は、「世界観としてのダーウィニズム」という考え方を提示して、19世紀半ばにダーウィンとスペンサーが同じような世界観を共有していたという議論を展開しました。両者が共通の世界観を共有していたかどうかは議論の余地があると思いますが、ダーウィンもスペンサーも、特定の世界観とのつながりで、あるいは、特定の世界観を背景として、自らの進化理論を構想したとは言えます。また、近年は専門家が議論した進化論と一般社会に浸透した進化論との相互作用にも関心が向けられ、狭い意味での科学理論だけでなく、文学や芸術など広い意味での文化も射程に入れて研究が進められています。「学問としての進化理論」は「ダーウィンが発祥」で、「一般人の世界像としての進化論」は「スペンサーによってつくられたもの」というのは、単純化であるにしても、ダーウィンもスペンサーも過大評価しすぎだと感じられます。少なくとも科学の専門化という過程の途上にあったヴィクトリア時代のイギリス社会では、両者が相互作用しながら進化論が普及していったと考えられるからです。

最後の段落と同じように「元凶はスペンサーにある」と主張するとすれば、かなり「濡れ衣」に近いというか、一つ前の段落と同様にスペンサーを過大評価しすぎだと感じるところです。「ダーウィニズム」でも、「進化論」でも、一般に流通している概念がどうして今のようなかたちで流通しているかというのは非常に複雑な問題で、少なくともスペンサーが「元凶」という単純な話でもない気がします。少なくとも、今でもいわゆる「社会ダーウィニズム」が影響力を持っているのだとすれば、20世紀に入ってスペンサーが急速に忘れ去られて今でも一般にはあまり影響力がないのに、どうしてスペンサーの思想がつくりあげたとされる「社会ダーウィニズム」や「世界像としての進化論」は一般にかなり浸透しているのでしょうか。もちろん今当たり前にあるものの起源がわすれられているというようなことはいくらでもあるでしょうけど、少なくともそこには様々な要因が積み重なっているのであり、「元凶がダーウィンにある」と言えないのと同様に、元凶がスペンサーにあるとも言えないでしょう。

限られたことしか言えないインタビュー記事に対して長文の批判をぶつけると、いくらでも語れるなら単純化せずにきちんと語れるという反応を呼びそうですが、私が曲がりなりにもこれまで身に付けてきた専門研究の知見からすると、以上のようなことは言わざるをえないところです。スペンサーについてはまだまだ格闘し続けなければならないので、いつかきちんとした成果があげられるようにあきらめずに研究していきたいと考えています。

第4回 進化論の「今」と「未来」(NHKEテレ『100分de名著』ダーウィン『種の起源』)

すっかり時機を逸してしまったけど、『100分de名著』の『種の起源』つづき。

第2回と第3回の放送は特に気になるところはなかった。あえて言えば、生存競争を説明する際にマルサスの人口理論への言及がなかったこと。些細なことかもしれないけど、以下で検討する論点とのつながりを考えると、重大なことと考えることもできる。

ダーウィニズムと社会ダーウィニズムの関係、および両者とマルサスの関係については、一つ前の記事をどうぞ。

いよいよ、第4回。社会ダーウィニズムの説明が含まれているので恐る恐る視聴したが、案の定というか予想通りというか、この50年あまりのダーウィン研究の成果が全くふまえられていないと言っていい説明だった。

本題に行く前にまずは余談から。スタジオでの一コマ。

伊集院光「(省略)すごいことなんですね、これ。」
長谷川眞理子「すごいことですね。で、しかも、その、考えを辿っていくといろんなことが、あの、ダーウィンに行き着くんですね。今言われている生態学、あの、生物同士の関係を、あの、調べる学問も、元をただせばダーウィンが考え始めていた。それから、脳や心がどう働くかっていう心理学、あれも結局はダーウィンが、あの、大元は考えたと。そういう意味では、あの、いろんなところにダーウィンが、えー、根っこがあるというか。」

生態学については。『種の起源』に出てくる「economy of nature」概念に見られる通りで全く異存がないのだが、心理学の大元がダーウィンでいいの?という素朴な疑問。これについては完全に専門外なので、心理学史の研究者におまかせしますけど。

以下、本題。いわゆる社会ダーウィニズムについてふれたところをすべて引用。

武内陶子アナ「実は、このダーウィンの理論を、悪用する人がね~」
伊集院光「あ、悪い方ですか。」
武内陶子アナ「そう、だいたいそうなんで、出てくるんでございます。」

以下、ナレーション。

ダーウィンは生き物には上下関係はなく、すべて平等であると考えていました。しかし、生存競争、自然淘汰などの理論を、曲解し、悪用する人々が現れます。ダーウィンが活動した19世紀のイギリスは、産業革命によって資本家と労働者の貧富の差が広がっていました。アメリカ南部には奴隷制度があり、ヨーロッパの強国はアジアやアフリカに次々と植民地を広げていました。こうした中で、力あるものが、勝利し、富を得ることは自然の摂理にかなっている、とダーウィンの理論を自分の都合に合わせて利用する人々が増えていきました。人を差別し虐待することを正当化するもの、今でもダーウィンの理論は誤解にさらされつづけています。

伊集院光「なるほど。いや、あの、進化論がいろんなところにあてはまる、あてはめて自分の、こう足しにできるっていうのが、すごく、え~懐の深いところだし、す、すばらしいことだからなんだけど、切り取る場所によってはこういう使い方ができなくはないっていうのは今ちょっとぞくっとしました。」
武内陶子アナ「そうですよね、ダーウィンはもうあんなにもう、一つから始まって上下はないと、生きているものに上下はないってことを言っていたのに、このように悪用することもできる。」
長谷川眞理子「自分自身の価値観というのに対して、その、科学的な根拠が、これだよっていうことを言う人が結構いるんですよね、大間違いだけど。資本主義はもちろん競争があって、あの、勝たないと企業は、あの、儲からないとか、その、帝国主義は、その、侵略していて征服するとか、そういうことをやっている人がそれを科学的に裏付けとして、自然淘汰の、あの、理論を使って強者は勝って当たり前だというようなことを言いたがるんですね。でもそれは生物学とは関係ないし、ダーウィンも、そんなことは考えていませんでした。」
武内陶子アナ「望んでもいなかったでしょうね。」
伊集院光「皮肉な話ですね。とても皮肉な話ですね。」
長谷川眞理子「それが、ずっとその、第二次大戦で、まあ、あの、ひとつの頂点になるっていうのが、ナチスドイツの優生主義的なことかもしれませんね。その、あの、社会にとって有用な、あの、人間、人種だけを残そうとか、まあ、遺伝的になんか、あのよくないものをもっているひとは全部、断種してしまおうとか、そういうことを、あの、ナチスドイツは考えたと。それは結局ユダヤ人虐殺とか、いろんなことにも、あの、最終的になって、それで、みんな、あの、大間違いに気がつくんですけれども。」
伊集院光「過去三回も今回もそうですけども、あの~、長谷川先生が、僕が例えばちょっと間違った言い方で、進化、退化の話をする時に、目の構造が細かくなっていくことも、え~とそれから、なくなっていくことも、変化で、ていうことなんですけども、僕らは、細かくなっていくことを進化、とか、え~、なくなっていくことは退化、とか、え、さっき言ったように、こっちの方が下手すりゃえらい、動物の種類の中でえらい、人間の方がえらい、みみずはえらくないっていう、ね、その感じになりがちなんだけど、まさにそれを上手に使っている、で、むしろダーウィンはその逆を言っている気がするんですね。」
長谷川眞理子「ダーウィンって、あの、その、よ、書いたものを読みますと、当時の偏見みたいなことは、そ、そりゃもちろん、ちらちら出るんですね、その、野蛮人という言葉を使ったりとか、野蛮人を文明人と比べると、あの、ま、ひどい状態だとかいうことは書いてある。だけど、彼は、本質的には、その、人間はみんな一緒でね、で、あの、その、え、文明人っていうのが文明で衣を着ているから、あの、偉く見えているだけで、いやその、かっこ野蛮人も、あの、文明人も、結局は人間としては同じだと。で、あの、文明人が人間なのではないっていうふうに彼は言ってて」
伊集院光「えらくクールなぐらいに、人間も、あの~、他の動物も、まあ同じって言うか、ま」
長谷川眞理子「枝分かれしたみんな今は同じ位置にいるってことですよね。枝分かれっていうのは本当に、あの、いろんなものが元の生き物からこっちとこっちに分かれてきた、で、人間もここにいるし、ミミズもどっかから分かれてここにいる、て、だから、あの、人間がサルから進化したっていうのを聞いた時に、人間とサルって言って、あの、ぎゃ~と怒った人はいるけど、実はダーウィンの議論はサルよりもっとこえてて、人間はイチョウとも、あの、アカパンカビとも、あの、シジミとも、結局は、あの、親戚ですよと言ったわけですよね。」

本題とあまり関係ないけど、支配階級の地主(貴族)を差し置いて前面に躍り出る「資本家」と「労働者」の対立という図式、マルクス主義おそるべし。ただし、後世に社会ダーウィニズムと言われるような考え方は、旧来の地主階級に対抗する上で新興中産階級が前面に押し出した戦略だったとは言えるかもしれない。

僕はダーウィンの専門家というわけではないので、きちんと答えを与えられるわけではないけど、ダーウィンの引用と絡めて問題点を指摘しておきたい。

さらに、『名著、ゲストコラム』の長谷川眞理子「生き物の多様性はすばらしい」からも引用。

さらに残念なことには、「生存競争と自然淘汰の中で生物は徐々に変化していく」というダーウィンの考え方を「弱肉強食の論理」だと思っている人が非常に多いのです。なかには、ナチス・ドイツが提唱した優生思想(ユダヤ人差別)と進化論を結びつけて、人種差別を助長する論理だと勘違いしてしまう人までいる始末です。

いわゆる社会ダーウィニズムのことをダーウィン進化論の「悪用」や「濫用」とみなすことで、社会ダーウィニズムとダーウィンを切り離す説明法はよくあるものだが、ダーウィン進化論に見られる社会進化論についての研究はこれまでにかなりなされてきた。その問題の一側面は一つ前のエントリー参照。ロバート・M・ヤングの研究は一つ前の記事であげたので、ここでは、社会思想の側面も含めた世界観としてダーウィニズムを捉えたジョン・C・グリーンの研究をあげておく。内容についてはそのうちにブログに書くかも。

Greene, John C. “Darwin as a Social Evolutionist.” Journal of the History of Biology 10 (1977): 1–27. Rpt. in Green, Science 95–127.
—. “Darwinism as a World View.” Green, Science 128–57.
—. Science, Ideology, and World View: Essays in the History of Evolutionary Ideas. Berkeley: U of California P, 1981.

さらに上記の『ゲストコラム』からの引用の続きも引用。

これでは、ダーウィンが浮かばれません。『種の起源』をじっくり読んでいけば、それらが表層だけをとらえた、とんでもない誤解であることがわかるはずです。ダーウィンは決して弱者を排除しようとしていたわけではないし、戦いを肯定していたわけでもなく、生物に関する科学的な法則を見つけようとしていました。逆に彼は、価値観という点では人種差別、奴隷制度の反対論者で、ミミズであろうともヒトであろうとも、すべての生き物は、上も下もなく平等であり、生き物は多様性があるからこそ素晴らしい──と考えていました。今回の番組とテキストでは、「進化とは何か?」について知っていただくとともに、ダーウィンと『種の起源』に対する誤解を解くことに主眼を置きたいと思います。

ダーウィンが「生き物には上下は上下関係はなく、すべて平等である」と考えていたかどうかは断言できるほど単純な問題ではない。少なくとも『種の起源』最後の段落との整合性は考えるべきだろう。以下、引用(日本語訳はブログ執筆者)。

 たくさんの種類のたくさんの植物に覆われ、鳥が潅木にとまってさえずり、様々な昆虫が飛び回り、ミミズなどの虫がじめじめした地中を這い回る、様々なものが絡み合った土手を観察しながら、お互いに異なりながらも非常に複雑な様相で相互依存している、これらの精巧につくりあげられた生物形態がすべて周囲で働く法則によって生み出されてきたことを想起することは興味深い。これらの法則は、幅広い意味でとれば、生殖を伴う成長、生殖とほぼ同義の遺伝、生存条件が直接的あるいは間接的にもたらしたり用不用がもたらしたりする変異、生活のための競争につながるほど高い増殖率、その結果として起こる自然選択であり、形質の分岐と向上しなかった生物形態の絶滅を伴う。こうして、自然の戦争から、そして飢饉と死から、認識できるもので最も高度な物事、つまり高等な動物の誕生が直接もたらされる。この見方、生命は、そのいくつかの力とともに、元々は創造主によって少数の形態あるいは一つの形態に吹き込まれ、この惑星が重力に関する不変の法則に従って回転し続けている間、非常に単純な無数の原初形態から、最も美しくて最も驚異的な形態に進化してきて今も進化し続けているという見方には壮大なものがある。

以下、典拠(日本語訳はブログ執筆者)。
Charles Darwin, The Origin of Species: By Means of Natural Selection or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life, 1859, Ed. by J. W. Burrow, Penguin Classics, London: Penguin, 1985, 459–60.

参考までに日本語訳も。
ダーウィン『種の起源(下)』渡辺政隆訳 光文社古典新訳文庫 402–403ページ。
ダーウィン『種の起原(下)』八杉龍一訳 岩波文庫 261–262ページ。

少なくとも、引用の前半部分から「生き物は多様性があるからこそ素晴らしい」とダーウィンが考えていたと言えるかもしれないけど、ダーウィンは「生物に関する科学的な法則を見つけようとして」いたという言明との関係性くらいは考えてもらいたいところ。さらに言えば、「自然の戦争」と「飢饉と死」というネガティブな表現を「壮大(grandeur)」というポジティブな価値と結びつける上で「創造主」が持ち出されている意味も考えるべきだろう。文字通り読めば、「すべての生き物は、上も下もなく平等」どころか、高等動物への進化が「壮大」な創造主の偉業としてたたえられていると読めるわけなので。

もっと問題含みなのが『プロデューサーAのこぼれ話』「名著46 種の起源」での議論。以下、引用。

このように、生き物には、無限といってもいいほどの自然適応のやり方があるのです。大きいもの小さいもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、獲得した器官を失ったもの不必要な器官をもってしまったもの……自然界にはあらゆる形質をもつ生物が多様に存在しています。「強いもの」が生き残るのではなく、たまたま「適応したもの」が生き残るだけです。こうした状況は「弱肉強食」といった単純な図式では決してとらえられないのです(でも人間って、どうしても事を単純化してとらえようとしてしまうんですよね)。

悪名高いナチスの「優生主義」は、人為的に劣っていると判断された遺伝子を駆逐しようとしました。しかし、これはダーウィンの理論によればとんでもないことです。「優秀な遺伝子」なんて存在しないんです。あるのは、「ある環境にあって、たまたま有効であるかもしれない遺伝子」だけ。そして、常に変転してい く自然環境の中では、生き物や「種」が豊かに、そして末長く存続していくためには、できる限り多様なパターンの形質や性質を抱えておく方が有利なのです。 そのことは、番組でもご紹介した、特定の品種のジャガイモだけしか栽培しなくなったアイルランドにおいて、ある一つの病気の発生でジャガイモが壊滅し、 100万人の国民が餓死したという事例をみてもよくわかるでしょう。

つまり、ダーウィンの進化論は、「優生主義」や「強者の論理」「弱者の否定」「人種差別」「障がい者差別」「性的マイノリティへの差別」等々に組みするどころか、それらを真っ向から否定します。それを「人間の倫理」の立場からではなく、「科学」の立場から見事に論証したところが、ダーウィンの素晴らしさだと思います。

ダーウィンほど、生き物の多様性や人間の平等性を愛した人は、19世紀の世の中にはいなかったでしょう。それは、ダーウィンが、身分や人種で人を判断せず、あらゆる人に平等に接したという記録からもわかります。

最近、ともすると「全てを一つの色に塗りつぶさないと気がすまない」、「異分子を排除しよう」、「自分と異なるものは劣っていると考える純血主義」…… 等々といった風潮が見受けられます。自分自身も陥りがちなこうした偏見や差別感情を、きちんと相対化してくれる視点をダーウィンは与えてくれます。

生命の多様性を何よりも尊重したダーウィン。私たちは、科学者としてのダーウィンだけでなく、人間ダーウィンにももっと学ばなければならないと思います。そして、そんな彼が到達した「人間観」、「生命観」にも学び続けなければと痛感しています。

ダーウィンの進化論が優生思想や差別を「人間の倫理」ではなく科学で論証したというのは、これこそ番組のナレーションに登場していた「ダーウィンの理論を自分の都合に合わせて利用」している典型例ではないんだろうか。ダーウィン進化論を優生思想やいわゆる社会ダーウィニズムと切り離そうとするあまり、それらと正反対の価値をダーウィン進化論と結びつけ『種の起源』の議論に投射しているようにしか思われないんだけど。ダーウィンの進化理論はある特定の価値とは関係ないとしつつ、ダーウィン進化論が科学の立場からの別の特定の価値を見事に論証していると述べるのは、科学が規範とか倫理とか思想とかと切り離せないことを逆説的に見事に示していると言えるかもしれない。

最後に、番組の基本的な主張はダーウィンの理論は弱肉強食のいわゆる社会ダーウィニズムやナチスが利用した優生学と正反対ということのようなので、ダーウィンの理論といわゆる社会ダーウィニズムや優生思想との関係を考える上で無視できない部分を『人間の進化(The Descent of Man)』から引用しておく(日本語訳はブログ執筆者。日本語訳のページ数は参考までに。)。


決して忘れてはならないことは、個々人とその子どもは、高水準の道徳を身につけても、同一種族内の他の人々に対してほんの少しだけ優越するかあるいは全く優越しないかどちらかだが、有能な人間の数が増え道徳の水準が向上した種族は、確実に別の種族に対して大きく優越することだ。高度な愛郷心、忠誠心、服従心、勇気、共感を身に付け、いつでもお互い助け合い共通善のために自己を犠牲にするように心がけている人々が多くいる種族は、他のほとんどの種族に打ち勝つだろう。これこそ自然選択だろう。世界中のどこでも常に、種族は他の種族を押しのけてきた。そして、道徳が種族の繁栄にとって重要な要素の一つだったので、どこでもそのようにして、道徳の水準が高まり有能な人間が増えていくことになる。(Darwin, Descent of Man 157–58; ダーウィン『人類の起原』193-94頁)


野蛮人の場合は、身体や精神に欠陥がある人々はすぐに除去され、生き残った人々は力強い健康状態を示す。他方、私たち文明人は、除去の過程に制限を加えることに最善をつくす。私たちは、知的障害者、身体障害者、病人のための施設を建設し、救貧法を制度化し、私たちの医療従事者は、最善の技を用いてあらゆる人のの命を最後の瞬間まで救おうとする。以前は体が弱いために天然痘に屈していた何千もの人々の命を種痘が救ってきたことを信じる理由がある。このように、文明社会の弱者は同類の人々を増殖させる。このことが人類にとって非常に有害であることは、家畜動物の繁殖に関わったことがある人にとっては疑問の余地のないことだろう。驚くべきことに、世話をしなかったり間違った世話の仕方をした場合に、家畜の品種はすぐに退化してしまう。しかし、人間自身の場合を除いて、自分が飼っている最低の家畜動物を繁殖させる愚か者はほとんどいないのである。
 無力な人々に対して私たちがしなければならないと感じる援助は、共感の本能が偶然にもたらしたものであり、共感の本能は、元々は社会的本能の一部として獲得されたが、後に、以前示した仕組みによって、もっと敏感になってもっと広範囲に広がっていったものである。私たちの本性の最も高貴な部分を衰えさせることなしに、たとえ確固たる理性が要求したとしても、私たちの共感を制限することはできないだろう。(中略)それゆえに、私たちは、弱者が生き残り同類の人々を増殖させることがもたらす疑いようのない悪影響を甘受しなければならない。しかし、着実に働いている少なくとも一つの制限、すなわち、社会にいる弱くて劣った人々は、健全な人ほどには好きなように結婚してはいないという制限があるように見える。この制限は、身体あるいは精神における弱者が結婚を差し控えることで漠然と強められているかもしれない。このことは予測されていることというよりは希望的観測なのだが。(Darwin, Descent of Man 159–60; ダーウィン『人類の起原』195-96頁)


進歩をもたらすもっと効果的な要因は、脳が多感な若い時期に行なわれる良質の教育と、最も有能で優れた人々によって教え込まれ、国の法律と慣習と伝統の中に体現され、世論によって後押しされることで、高水準にまで高められた卓越性からなっているように思われる。しかしながら、世論に後押しされるのは私たちの身に付けている共感を基盤にして他人の是認と否認を私たちが尊重するからであるということ、そして、ほとんど疑問の余地なく、この共感は元々は社会的本能の最も重要な要素の一つとして自然選択を通じて発展したということを心に刻み込んでおかなければならない。(Darwin, Descent of Man 169; ダーウィン『人類の起原』205頁)


人類の福利を増進することはとても込み入った問題である。すなわち、自分の子どもが惨めな貧困に陥るのを避けることができない人は誰も結婚すべきではない。なぜなら、貧困が巨悪というだけでなく、無謀な結婚を通じて貧困が自己増殖しがちだからである。他方、ゴルトン氏が述べているように、賢明な人間が結婚を避け無謀な人間が結婚するなら、社会の劣った人々が優れた人々に取って代わるようになる。人類も、疑いなく他のあらゆる動物と同様に、急速な増殖の結果起こる生存競争を通じて今の高度な状態まで進歩してきたのだ。もし、もっと高度な状態に進歩するつもりなら、残念ながら厳しい生存競争に身を投じ続けなければならない。そうしなければ、人類は怠惰に身を沈め、能力の低い人々が高い人々よりも人生の闘いにおいて成功を収めるようになるだろう。ゆえに、私たちの本性に根ざした増殖率は、多くの明らかな害悪をもたらしたとしても、どんな手段であれ大幅に削減してはならない。すべての人々に開かれた競争が不可欠である。最も有能な人間が最も成功し最も多くの子孫を残すのを法律や慣習で妨げてはならない。これまでも、今現在でさえも、生存競争は重要だが、人間本性の最も高貴な部分に関しては、他の作用がもっと重要である。なぜなら、道徳性は、自然選択よりも、直接的もしくは間接的に、習慣、推理力、教育、宗教などの効果を通じて向上するものだからだ。確実に自然選択の作用によるものは、道徳感覚が発達する基盤を提供した社会的本能であろう。(Darwin, Descent of Man 688–89; 『ダーウィン』558-59頁)

以下、典拠の文献。
Darwin, Charles. The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex. 2nd ed. 1879. Penguin Classics. London: Penguin, 2004.
[ダーウィン『人類の起原』池田二郎・伊谷純一郎訳 今西錦司責任編集『ダーウィン』世界の名著50 中央公論社 1979年]

第1回 「種」とは何か?(NHKEテレ『100分de名著』ダーウィン『種の起源』)

NHKEテレ『100分de名著』
ダーウィン『種の起源』
第1回「種」とは何か。

上記の番組を視聴して、気になったところをいくつか。

まず、こちらのサイト(第1回のところ)にある映像を御覧下さい。


ダーウィンのキャリアについて

大きな流れとしては間違っていないんだけど、まずダーウィンの年齢がよくわからないことに。

ダーウィンの人生を説明するアニメ映像で「エジンバラ大学で医学を学ぶ(19歳)」「ケンブリッジ大学で神学を学ぶ(23歳)」という字幕が・・

ダーウィンがエディンバラで過ごしていたのは1825年秋から1827年春にかけて。1809年2月生まれのダーウィンが16歳から18歳にかけて。

ビーグル号の出港が1831年12月27日なので、1809年2月21日生まれのダーウィンが23歳になったのは、南米を目指していたビーグル号が赤道を越えた直後ということに・・

ダーウィンのキャリア選択に関する説明にも少々疑問が・・以下、『種の起源』までの流れを説明するアニメ映像と、スタジオでのゲストによる説明から引用。

ナレーション「父はこんな[子どもの頃から生き物好きで学校嫌いの]息子を医者にしようとエディンバラ大学に入学させます。しかしダーウィンは血を見るのが苦手で挫折してしまいます。」

武内陶子アナ「で、19歳でエジンバラ大学、医学を志すんですが、中退。」
長谷川眞理子「お父さんが医者ですから、医者を継がせようと思った。で、しかし、当時麻酔がないしね、子どもの手術なんか、もう、泣きわめくのを押さえ付けて切ったりするわけでしょ、そういうところに彼は、あの、耐えられなくて、やめましたね。」
武内陶子アナ「そして、23歳、ケンブリッジ大学、ここで神学を学ぶ、けどもあんまり興味なかったとさっき言ってましたね。」
長谷川眞理子「で、牧師なんていうのも、全然、牧師やってれば、あの、こう、見栄えがいいっていうだけの、そういう選択だったんですね。」

最初にみた時に、ダーウィンが「血を見るのが苦手」で進路変更をしたというのは定説なの?という疑問が・・

このような説明の大もとは自伝の記述だと考えられる。以下、自伝から引用。

Dr. Duncan’s lectures on Materia Medica at 8 o’clock on a winter’s morning are something fearful to remember. Dr. —— made his lectures on human anatomy as dull as he was himself, and the subject disgusted me. It has proved one of the greatest evils in my life that I was not urged to practise dissection, for I should soon have got over my disgust; and the practice would have been invaluable for all my future work. This has been an irremediable evil, as well as my incapacity to draw. . . . I also attended on two occasions the operating theatre in the hospital at Edinburgh, and saw two very bad operations, one on a child, but I rushed away before they were completed. Nor did I ever attend again, for hardly any inducement would have been strong enough to make me do so; this being long before the blessed days of chloroform. The two cases fairly haunted me for many a long year. (Francis Darwin ed., The Life and Letters of Charles Darwin, Including an Autobiographical Chapter, 3 vols, London: John Murray, 1888, 1: 36-37)

(一般向け番組なので分かりやすくした方がいいという制約があるにせよ)「血を見るのが苦手」よりは複合的な要因がありそうなんだけど・・(仮に父親のロバートのような立派なphysicianになったとして、手術をする必要はあったのでしょうか??・・素人の素朴な疑問・・)

聖職者を目指すことにしたというのも「世間体」からだけ説明するのも・・上流階級の一番上ではない男子のキャリアとして一般的だったとか(デズモンド&ムーアの伝記では「safety-net」という言葉が使われている)、親の方針とか、すでにかなり熱中していた自然史研究に打ち込めるとか、もう少し説明のしようがある気がする。何が決定的に一番重要だったのかについて専門的な見地から断言する材料は持ち合わせていないけど。

「safety-net」(日本語訳では「安全ネット」)のソースは、
Adrian Desmond & James Moore, Darwin, London: Penguin Books, 1992, 47
[A・デズモンド&J・ムーア『ダーウィン』渡辺政隆訳 工作舎 第1巻73頁]


ビーグル号の航海について

再び、『種の起源』までの流れを説明するアニメ映像から引用。

ナレーション「この航海は、ダーウィンに新しい考えを芽生えさせます。環境などの影響で生物は変化し、新しい種が生まれるのではないか?[ここで「新しい「種」への進化が起こる?」という字幕]、つまりルーツを辿れば、原始的な微生物から人間まで、すべての生物は一つにつながっていると考えたのです。」

上記の通り、アニメ映像では、ダーウィンがビーグル号の公開中に進化論に目覚めたというようにみえるんだけど、スタジオで長谷川眞理子氏が「ま、ガラパゴスはね〜、そんなに、あの、え〜、その時にすぐ何か考えついたわけではないんですけどね」ときちんとフォローしている。ダーウィンが進化理論に取り組み始めたのは帰国後のロンドンというのが定説のはず。


『種の起源』出版の経緯について

さらに、『種の起源』までの流れを説明するアニメ映像から引用。

ナレーション「ビーグル号の航海から20年以上過ぎたある日のこと、若い博物学者ウォレスからの手紙がダーウィンの運命を変えます。」
ダーウィン「これは・・私の考えていることとほぼ同じではないか・・」
ナレーション「ウォレスもまた種は進化するという考えに到達していました。ダーウィンは背中を押されたかたちで膨大な資料をまとめる作業に着手しました。そして50歳の時、『種の起源』を出版したのです。」

(ここにつっこむのも野暮かもしれないんだけど)ウォレスのいわゆるテルナテ論文がダーウィンの運命を変えたのは、テルナテ論文に「種は進化するという考え」が書かれていたからではなく、テルナテ論文には変種が元の種から変遷してく過程が自らの自然選択と同じようなメカニズムによると議論されているとダーウィンには感じられたからで。本当にそうだったかはともかく。

また、ダーウィンは「膨大な資料をまとめる作業に着手」して『種の起源』を執筆したのではなく、少し前からすでに着手していた「膨大な資料をまとめる作業」をある意味で中断して急遽『種の起源』を出版することになったわけで。自らの進化理論をきちんとした論拠を示して体系的に論じようとした幻の大著『自然選択』を執筆し始めたのは1856年5月だとされている。テルナテ論文を受け取る2年あまり前である。

ダーウィン進化理論の形成過程およびウォレス理論との関係についての概説は、やはりボウラーの評伝がいい。Peter J. Bowler, Charles Darwin: The man and His Influence, Cambridge: Cambridge University Press, 1996[ピーター・J・ボウラー『チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響』横山輝雄訳 朝日選書571 1997年]


創造論と進化論を図示するモデルについて

最後に、「ダーウィンより前の考え方」である創造論とダーウィンが提唱したとされる進化論との違いを図示したフリップについて。

番組で示されたモデルは大ざっぱに書くと以下の通り。

・創造論

現存する4種が創造の時点から変化していないことを4本の並行直線で示す。

現在    A B C D
      | | | |
      | | | |
創造の日  A B C D

・進化論

枝分かれ系統樹モデル

現在の4種を一つの起源から枝分かれして進化してきたことを示す。

現在    A  B C D
      |  | | |
       \/ / /
        \/ /
         \/

(これも目くじら立てることでないかもしれないんだけど)並行直線モデルと枝分かれモデルをダーウィン以前の創造論とダーウィン以降の進化論と重ねるのはどうなんだろう??・・

並行直線モデルはダーウィン以前から唱えられていた並行進化の過程を表すこともできる。例えば、すべての生命は自然発生する下等な種から人類を頂点とする高等な種へと進化していくという並行進化の理論を表すことも可能である。(番組的には)ダーウィン以前の進化論というものはないことになっているのかもしれないけど・・

また、ダーウィンの時代には地質学の発展により創造論の立場に立つにしても創造が一回限りの出来事だとは考えにくくなっていたのではないか。地質学の成果に基づけば、創造は一回限りの出来事ではなく、下等な種から高等な種へと時間の経過の中で何度も創造が行われたというのが自然な創造論になる。一方、創造が一回限りの出来事だと考えて、その後は自然法則という神の導きに従って種が枝分かれして多様な種に進化したと考えることも可能である。このようなモデルをダーウィン自身も『種の起源』の最後でほのめかしている。

というわけで、多様な種が個別に創造されたのか、共通の祖先から枝分かれして進化してきたのか、という個別創造モデルと枝分かれ進化モデルの対立を並行直線モデルと枝分かれ系統樹モデルとの対立に完全に重ねてしまうのは・・やはりもう少し正確に、種の起源が、種が個々別々に創造されたことなのか、それとも、別の種から進化してきたことなのか、という個別創造論対進化論という図式を示してほしかった・・(一般向けテレビ番組だから仕方ないのかもしれないけど・・)

第2回はどんなことに・・